初めて袴をはいたときのことって、覚えてますか
「そうですねぇ、確かすみれ売りのときに。なんかこう、ねえ、予科生の時に初めて。上はお着物だったんですけれども、袴はいて。懐かしいですねえ」
そのときはどんな気持ちで
「もう私、宝塚、今でもそうですけれども、大好きだったので、もう、ひとつひとつが、宝塚の生徒さんになる第一歩なんだな、と思いながらどきどきわくわくしながら。で、すみれ売りとかも、入団する前から、やっぱりあの、ああ、この方たちがこれから舞台に立つんだなと思っていつも拝見させていただいていたので、それを自分がさせていただいてるということが感無量、感激というか感動というか」
それに別れを告げるわけですから本当に感無量でしょうねえ
「そうですねえ、はい」
初舞台の頃からの事って思い出しました?卒業にあたって
「はい、もう、やっぱり、その、色んな取材を受けても、今、CSもありますけれども、まあ、昔のことを振り返ってとか、そういう話を色々していって。で、まあ、初舞台の頃だけじゃなくって、音楽学校のこともですし、この16年間の色んな事を思い出しながらやってた公演でしたね、こないだの、はい」
一番汐美真帆として大切にしてきて、守ってやってきたことってなんでしょう。信条みたいなもの
「んー、やはり、自分がこの舞台に立っていられるのは、応援して下さる、見てくださるファンのかたあってこそだな、、ということは、いつもいつも心にしまって、舞台に立っていました、はい」
一番最初にいただいたファンレター覚えてます?
「はい、予科生のときですね」
どんなお手紙でした
「んー、まあ、頑張ってください、これから応援します、とかかれて、なんかねえ、まだちっちゃい少女?の自分に(笑)」
自分で笑わないで下さい(笑)
「に、なんか、こうやって、ものをいただくってことが、やっぱり、ああ、これから、どんな自分になっていくのかなっていう、不安と期待と。もう胸がいっぱいでしたねえ」
そしてあの、宝塚の名作といわれる『ベルサイユのばら』で初舞台を踏まれましたでしょ
「はい」
それはどんなお気持ちでしたか
「んー、もう、その、『ベルサイユのばら』に出させていただいたということはもちろんですけれども、もう、そのときは涼風真世さんってかたのお披露目公演で、で私たちも初舞台で、まあ、めでたいめでたい公演だったんですけれども、もう、まず、舞台に立たせていただいてるって幸せが、もう胸がいっぱいで。それがまたねえ、77期最初で最後の初舞台ロケットのねえ、させていただくっていうので、やはり、そこにいることに感謝してましたね。自分が、その場所にいて、みんなと共に初舞台を踏めたということに感謝をしながら、毎日感動してましたね」
77期っていうのは、どういう期でしたか、特徴は
「うーん、もう、個性豊かな、大変な期でした」
一番最初に仲良くなって口をきいたっていうのは誰だか、覚えてますか
「ああ、どうでしたかねえ」
汐美さんは子供アテネってやってらしたんでしたよね
「はい、そうです」
受験をする学校があるんですよね
「はい、宝塚にそういう、受験コースみたいな学校があるんですけれども。・・・初めてしゃべった人ってあんまり覚えていないんですけれども、なんか、麻園みきちゃんっていって今回一緒に同期で辞めた子がいるんですけれども、彼女は、私が一番初めにしゃべった人なんですって。受験前に、なんか、私がしゃべりかけたかなんかしたのかな。だから、なんか、縁だねって二人で話してたんですけれども。・・・一番仲良くなったのはやっぱり安蘭けいちゃん、星組で、今・・・今じゃないですね、こないだまで一緒に公演していたトウコちゃん、彼女がやっぱり一番長いですね。音楽学校でおんなじお掃除場で、彼女がお琴教室責任者で私がお琴教室フロア分担で、二人しかいないんですけど、責任者とフロア分担しかいないんですけど。でも二人でお掃除をしなきゃいけないんで、もう朝から晩までずーっと一緒でしたからねえ、朝一緒にお掃除して、昼間汚れてないか点検して、放課後も二人で点検して、とかずーっと一緒でしたね」
でまあ、男役14年なさって
「はい」
男役の何を一番大切にやっていこうと思われてましたか
「うーん、そうですねえ、やっぱり宝塚という場であるからには、常に美しくいたいなと思って、それをやっぱり心がけていましたけれども」
例えばその、美しくっていうのはどの辺にこだわりをもって
「もうやっぱり、見られてる全てのものに対してというか。髪型もですし、メイクにしてもですし、着こなしにしてもですし、常に、自分がまあ、できる範囲で、美しくいたいなと思って舞台に立っていました」
その研究はどのように
「うーん、やっぱり私は宝塚大好きで入ったので、昔のOGの方の舞台を見ていたので、その方たちに少しでも近づけるようにと思って、なんか私は古い人間なので、なんかその古い時代の、古き良き時代の方々が大好きだったので、今も好きなんですけども、昔の、自分のファンだった頃の宝塚がやっぱり心に一番印象的に残っているのでその方たちにちょっとでも近づけるようになれたらな、と思いながら舞台をしてきたのでやっぱりそれがすごく目標でしたね、私の」
宝塚らしさ、というか
「はい、そうですね〜、はい。でもそればっかりにとらわれては、やっぱりねえ、ファンの方も世代も変わって、色んな方がご覧になるわけですしやっぱり今のいいものを取り入れながらでも昔の、90年の歴史はやっぱりすごいと思うので、その中で自分で見てああ、いいなあ、って思うところはなんかこう、いただいてみながら、舞台に立てたらなあと思って。やっぱりそういう男役像が私の、そうなりたいな、というイメージというか、憧れでしたね」
で、雪組、月組、星組と色んな組を回られましたけれども
「はい」
雪組では、やはりあの、新人公演のヨーゼフが印象に残っていますけれど
「あ、はい、やってましたねぇ」
今思い出すと、どうですか
「うーん、もう一回やりたいですねえ、と思いますね、あの役は」
どういう
「なんか、あの頃の自分で、なんか、考え抜いたヨーゼフっていうのが、今でも共感を持てるっていうか。うーん、自分で、まあ、実際いらした方なんですけれども、まあそれなりに自分で味付けをしながら、役作りさせていただいたんですけれども、やっぱりすごく大好きな作品だったし、あの、とても、フランツ・ヨーゼフさんっていい人で、と私は思ってるんですけど、なので、あの、もう一回できたらな、とは思ったんですけれども。この前ディナーショーとかでも歌わせていただいたりしたんで。まあ、その頃のことも思いながら。でも本当に、あの役は、すごい大好きな役でしたねぇ」

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