そして日本物も大変良く似合ってらして、あの、八右衛門も代表的な役でしたけれども
「はい、そうですねぇ、日本物は雪組時代とても多かったので、上級生の方もやっぱり日本物すごくお上手でいらして。所作とかも色々皆さんから教わって。楽しかったですね日本物。やっぱり、わあ、私って日本人なんだわ、と感じる瞬間が沢山あって」
だからお名取りになられたんですか
「ああ、そうですねえ、」
去年お名取りになられたんでしたっけ
「去年・・おととしになりますね、12月に。あの、わたくしはアテネで、子供アテネで日舞を教えてくださるんで、そのときからずーっとやってきてて、でまあ間ちょっとあいてたんですけれども、もう一度ああ、なんか初心に戻りたいなと思って、習うようになってそれでお名取りを取らせていただいて」
雪組の印象っていうのはいかがですか、今思い出すと
「んー、なんかあの頃は、私はもうがむしゃらに頑張っていたので、今でも、今でもっていうか、まあ、ねえ、現役時代は、みんな頑張ってると思うんですけど、なんかこう、その男役像になりきるぞー、みたいな。なんか、こう、やってやるー、みたいな感じが強かったので、うーん、どっかやっぱり、雪組にいる自分はどうなんだろう、どういう風になっていくんだろう、と思いながら毎日こうなんていうか、がに股な感じで頑張っていたので、あんまりこう、雪組の印象は、って聞かれても、自分がこう一生懸命すぎててあんまり回りが見えてなかったんじゃないかなと思います」
その頃ちょうど阪神大震災で、ボランティアをなさったタカラジェンヌさんがいらっしゃるということがニュースになりまして
「はい」
その頃汐美真帆というお名前をね、知った方もいらっしゃるかと思いますが、そのお話は今していただいても構わないですか
「ああ、全然」
どういうことがきっかけでボランティアをやろうと思われたんですか
「私は、まあ実家が宝塚というのもありまして、まあうちの家も半壊で、で余震も来てるし、まあ母とわたくし二人だったので、母は実家に帰ってもらってわたくし一人で家に残ったんですね。あの、一人のほうがまあ逃げやすいかなとも。猫もいましたし。でもう皆さん実家に行ってもらって。皆さんっていうか猫と。で、私は一人で家の片づけを。もう大変だったんですけど、一週間ぐらいかかって、家の片づけをして。で、してもまだ余震とかも来てたんですけれども。で、これからどうしようかなあ、舞台もないし、レッスンもできないしと思ってたときにテレビを見てたら、ボランティア募集っていうのがあって、ああ、行ってみようかなあ、と思って。それからなんか、ボランティア活動するようになって、で、まあ、いろんな方と知り合いになって、ボランティアにも色んな枝葉が分かれて、色んなボランティア活動が、そういう部署みたいなのができあがっていて。でまあ、1ヶ月くらいボランティアさせていただいたんですけれども」
ボランティアをしたことで、その後の舞台が変わったとか、自分の生活信条が変わったとかってことはありますか
「そうですねえ、やっぱり人のためになにか役立つ、そういうことってやっぱり素敵なことだと思うし、それをやって、喜んでくださる姿とか、ありがとう、って思ってくださる姿を見て、ああ、やって良かったな、って、させていただいて良かったな、って思えることが、自分の幸せだったので、なんかこういうことって、ねえ、ほんとにその場にならないと、こういう経験ってねえ、なかなか、もうあんまりしたくないことですけどね、でもそれをさせてもらえたことが、本当に自分自身もだし、個人として色んな経験ができてよかったなと」
本当に人のためということで、今朝も献血をしてらしたということなんですけれども
「(笑)はい」
珍しい方ですよね、本当に。人のために生きてる方っていう
「(笑)でも200しか取れなくて残念だったんですけども。なんか、まだ。ほんとはね、400取っていただけるつもりだったんですけど。まだ、血がお疲れだったようで」
やっぱりその華奢な体からは400ccは無理だったんですね
「とんでもないです、もうバンバン取っていただいていいんですけども。次の日も取れますかって聞いたらそれは無理ですって言われて、ああそうなんだ、と思って」
(笑)そして月組に移られて。
「はい」
皆さん『血と砂』覚えてらっしゃると思いますけれども、フアンという役と出合って。やっぱり思い出深い舞台でしょう?
「そうですね、まさかバウホールで主演させていただけるなんて思ってなかったので、大変貴重な体験をさせていただきました」
そして、星組が最後の舞台となったことになりますけれども。あの、大劇場のほうでは、淋しい思いと共に失敗談も結構あったそうですけれど
「失敗談?」
ええ。オーケストラボックスに何か投げたんでしょ
「よくご存じで・・・はあ、なんかねえ、私の失敗というか、なんと言うか」
ご存じない方のためにお話してあげてください
「ああ、なんかこう、刀についてる、あ、お芝居のほうなんですけど、刀についてるあの、こういう、ボケボケというかフサフサというか、端っこについてるんですね、下のほう」
刀の柄ですね
「そう、柄のほうに。それが、プロローグで持ってたらぽーんと飛んでしまってオケボックスに落ちてしまって。ちゃんと謝りに行きました。なんかちょっと目が点になりましたね。それをこう、うぃーん、と(目で)追ってしまって。一応こう、プロローグ戦って、勝利して、これからねぇ、玄宗皇帝になるぞ、っていう、あの、まあお祝いのね、バンザイバンザイって言ってる合間だったんですが、あー落ちちゃったぁ、みたいな。どうしましょう、みたいな」
そういう時ってふっと素に戻ってしまいますか
「いえっ!戻りません、舞台人ですから(笑)」
でも、目が
「目はね、ふっと行きましたけど、ちゃんとすぐ陳玄礼に戻りました」
今回はそれ以外の失敗はなかったですか
「ああ、あの、振りが、ちょっと抜けちゃった時がありましたね」
それはショーのほうで
「ショーのほうで。大劇場でもあったんですよ。大劇場のときも。なんかその日は、同期のトウコちゃんが、ケロさんやばいな、って思ったんですってなんか。なんかいっぱいいっぱいだったんでしょうね。大劇場のサヨナラ公演のときは、運動会とか舞踊会とか、あとディナーショーのお稽古もあって、本当になんかいっぱいいっぱいで、自分のサヨナラの感じじゃなかったんですよね。多分それで、なんかちょっとやばいんじゃないかなと思ったんでしょうね。やっぱりやらかしてしまって。ショーの二人でからんでるところの、銀橋で、ちょっと一人で振付をしてしまって、一人で踊っちゃって」
でもそれはお客様にはわからないんでしょう
「どうなんでしょう、わからないんですけれども。まあそれをやってしまって、やっぱりなあ、ってトウコに言われて。なんかちょっとおかしかったから大丈夫かなと思ってたって。私はそんな気はなかったんだけど〜って感じで。で大劇場でも、なんかこう、ふっと。なんか間がよぎったというか、振りが急にわからなくなってしまったんですよね、はい、やらかしちゃいました」
それだけ?
「なんかやらかしてると思うんですけどね、もうあんまり、なんか物忘れが激しくなったのか辞めてから。覚えてないですね」

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